フレンチと中華の鉄人たち

料理の鉄人で唯一ひとりで鉄人を続けたのは中華の鉄人、陳建一です。挑戦者が鉄人を指名して戦いますが、実際の収録では、どの鉄人と戦うかは、特に挑戦者からの希望がない限りはオファーの段階から基本的に事前に決まっていたので収録の際には全部の鉄人が揃っていたわけではありません。その中でよく他の鉄人の対戦に立ち会っていたのは中華の鉄人陳建一とフレンチの鉄人坂井です。「自分だったらどうするか」とシュミレーションするためによく立ち会っていました。

陳建一

対戦成績…94戦68勝23敗3分 連勝記録17 勝率72.3%

赤坂「四川飯店」総料理長。登場する時には手に中華包丁を持っています。四川料理の神様・陳建民の息子です。この番組に出演するキッカケになったのは、審査員も務めた岸朝子の推薦からです。

番組開始時から最終回まで鉄人を務めた唯一の鉄人で、全鉄人中最多出場回数になりました。最終回では全鉄人を代表してスピーチを担当。最年少だった番組の最初の時期は不安定で、番組で初めて黒星(対戦相手は程一彦)を喫したのを始めとして、負け数が他の鉄人よりもかなり多くあり、挑戦者の間では「確実に勝つなら陳」とまで言われたこともありました。

でも一方では、毎回鉄人が勝つのは面白くないという理由で、負け役の鉄人としてあえて選ばれたとも言われています。陳建一が対戦する相手が、女性挑戦者の場合は特に弱い傾向があったため、挑戦当時22歳だった女性挑戦者の五十嵐美幸に対して、2対2のタイスコアに持ち込まれてしまい、辛うじて得点差1点で勝利をあげたこともあります。

しかし番組が経過するにつれて飛躍的に勝率を上げていき、1996年には全鉄人中、最長連勝記録の17連勝を記録するなど「強い鉄人」の象徴になりました。初期の頃に弱かったのは、当時の彼の非常にやさしい性格と、テーマ食材が野菜の場合に、無理やりデザートを作っていた点があげられます。初の女性挑戦者だった加賀田京子に負けたときも「かわいい人だなあ」と思いながら漫然と料理をしてしまったようです。神田川俊郎戦では1日3本収録の最後といこともあって、審査員のことを考えてさっぱりしたお粥を作りましたが、全体としては希薄な印象になってしまいました。

番組を重ねるに連れてデザートを作るのをやめて、研鑽を重ねることて、成績も向上しました。番組が終了後には、彼もかなり疲れていたようで、インタビューでは番組への苦い思いを吐露したことがあります。実際に番組開始された3年目の頃には、店が多忙なことに加えて実母が亡くなったことなどから本気で番組を降板することを考えたていたといいますが、坂井の説得で思いとどまったといいます。

石鍋裕

対戦成績…8戦7勝1敗 連勝記録4 通算勝率87.5%(現役時代の勝率は80.0%)

初代のフレンチの鉄人、西麻布「クイーンアリス迎賓館」オーナーシェフです。1970年代に日本でのフランス料理界の発展を図ることを目的に当時の新進気鋭の料理人達の手で結成された「クラブ・デトラント」のメンバーです。番組では「フランス料理界のヴィスコンティ」と称されています。

登場時するときには手にパプリカを持っていました。記念すべき第1回の対決に登場した鉄人ですが、皇室御用達になっていたこともあって経営者としても多忙を極めていたため出演の時間に事欠いていて、結局は「店の経営と両立出来ない」そしてに「1回負けてしまった」という理由で、実戦してわずか5回で引退しています。

対戦回数が少な過ぎることもあって、他の鉄人との単純な比較はできませんが、通算勝率87.5%は鉄人中最高となっています。フレンチの鉄人を引退した後は、番組初の「名誉鉄人」の座についています。選出当初から多忙だったこともあって、一度は鉄人起用を断っていますが、「3か月だけでも」という番組スタッフの説得に応じて鉄人として番組に出演して、本当に3か月でさっさと辞めてしまったというエピソードが残っています。鉄人を引退してから2度、挑戦者からの指名で復帰していますが、いずれも勝利しています。

坂井宏行

対戦成績…87戦70勝16敗1分 連勝記録9 勝率80.4%

渋谷「ラ・ロシェル」オーナーシェフで、初代の鉄人石鍋とは旧知の間柄です。石鍋と同じく「クラブ・デトラント」のメンバーでもあります。番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されています。

登場時するときには手に洋梨を持ぅていました。鉄人としてのデビューは1994年2月です。KIHACHIの熊谷喜八シェフの推薦から出演することになりました。当初は4月で番組が終わると聞いていて、2~3回の出演だろうと思っていたといいます。道場六三郎・陳建一とともに番組を長く支えた鉄人のひとりでもあります。

番組の全期間を通して安定した成績を残しました。テーマ食材にフランス料理によく使われるオマールがくると3連敗を喫したこともあったために、スタッフからは「負け犬オマール」や「そんなにオマールに弱いの?」と言われて悔しかった時期があったといいます。しかし、オマール以外の魚介類の対決では圧倒的な強さを見せていました。

番組初期では「1時間という時間ではちゃんとした料理を作ろうとすれば3品が限界」と語っていて、3品しか作っていませんでしたが、後期ではその考え方を改めて、4~5品を作るようになっていました。デザートによくテーマ食材に因んだシャーベットやアイスを作っていましたが失敗する事の方が多うかりました。番組出演中でも常に勉強の姿勢を忘れず、挑戦者サイドの試食後の皿を味見したり、相手方の助手に味付けを尋ねたりすることもあったといいます。石鍋の後任として鉄人に起用されましたが、年齢は前任の石鍋よりも6歳年長です。

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